会社沿 革
1967年 4月
有限会社槇島機械 創業
(創業者/槇嶋啓殷)
1975年
現住所移転 工場新設
1990年 4月
第1期 増設工事
1997年 8月
有限会社槇島機械設立/設立時に代表者交代 資本金300万円・代表取締役 槇嶋崇文
1998年11月
事務所新設
2002年 2月
第2期 増設工事
2002年 8月
テント倉庫新設
2003年 5月
増資 資本金1,000万円
2005年 2月
第2工場 新設
2006年 2月
第3期 増設及び事務所新設
2006年 6月
グループ会社 株式会社マキシマ 設立
2011年 3 月
第4期 増設塗装ブース新設
2012年10月
第2工場 増設
一人親方から、総合プラント企業へ
「やめないでほしい」その一言があったから。
槇島機械の創業は昭和42年。
父親である槇島啓殷が一人親方として近隣の町工場のメンテナンスなどを請け負ったのが始まりでした。
私は、元から父の事業を継ぐ意思はありませんでした。自分自身は同じ「モノを作る仕事」でも機械ではなく料理のほうに興味があり、神戸で飲食店をやっていました。ところが1995年の阪神大震災で店が被災し、経営ができなくなってしまいました。やむなく岐阜に帰った半年後に、今度は父親が他界。従業員への手当や残務整理のため、やむなく私が後を引き継いだのです。もちろん機械の知識も経験もゼロ。整理がつき次第、会社をたたむつもりでした。
ところが、そう簡単に会社をたたむことはできませんでした。お客様から「やめないでほしい」「続けてほしい」という声を多数いただいたからです。この時初めて、槇島機械はもはや父一人の会社ではなく、多くのお客様と共にあるのだということを知りました。右も左もわからない中ではありましたが、「何としてでもこの期待に応えないといけない」そう決意し、武者震いしたことを昨日のことのように思い出します。
決して断らない姿勢で。
懇意にしてくださるお客様から仕事をもらい、従業員や協力会社様に仕事をお願いしながら、私自身はイチから機械のことを勉強し始めました。大手企業様への飛び込み営業も行いました。最初は門前払いの連続でしたが、その中でもまれに依頼される仕事を決して断ることはしませんでした。これまでやったことがない仕事でも、どうにかなるのではないか?従業員をはじめ協力会社様に相談し、協力会社様が信頼する親方さんを紹介いただき、なんとかこなしてきました。断れば次はない、と思っていたこともありますが、何よりも負けず嫌いな性格でして。断ることがイヤだったのです。
そうやって日々お客様のご期待に応え続けることで、できる仕事の幅が広がり、槇島機械はいつのまにか機械の設計から製造、据え付け、配管まですべてできる「総合プラント企業」に成長しました。今では多くのお客様から「機械のことで困ったら槇島機械に」と言っていただけるようになり、お取引先は北海道から九州まで全国に拡大しました。しかし、事業が完全に軌道に乗ったとは思っていません。まだまだこれから。私たちの技術力でもっともっと多くのお客様に貢献し、世の中のお役に立っていきたいと思います。

代表挨拶
お客様のために。
自分たちのために。
私たち槇島機械は、岐阜県恵那市において産業機械の設計から製造、据え付け、配管までを一貫して行う総合プラント企業です。
設計から据え付け、その後の配管工事までワンストップで。当社のような規模でここまでできる会社は多くないと自負しております。なぜできるのか?それは、お客様のお困りごとに、真摯に向き合ってきたからです。
これまで何社も駆け回ってすべて断られ、最終的にウチに来た、というお客様も少なくありません。「困っているなら、なんとかしよう。たとえやったことがない仕事でも」。それが当社のモットー。初めてのケースでもみんなで考え、協力会社に依頼をし、できる人を探してなんとかやりこなす。
そうやって取り組んできたことが蓄積された結果、設計から製造、据え付けまですべてできるようになりました。「機械に関するお困りごとは、なんでも解決する」。これからもプロの精鋭集団として、“お客様のために”を貫き通してまいります。
一方で、いくらお客様のためとはいえ、自分たちの生活を犠牲にしてまで身を粉にして働くのは違うと考えています。代表の私自身、趣味である鯉の飼育をすることで仕事のことを一時忘れ、リフレッシュする時間を作っています。仕事を効率よく進め、早く帰宅して自分の時間を持つ。これも当社が創業以来続けてきたことです。
お客様のことを思うのと同じくらい自分たちのことも考える。逆に言うと自分たちの毎日が楽しく安定したものであるから、お客様にも健全に向き合えるのだと思います。
お客様のために。自分たちのために。槇島機械はこれからも前進し続けます。
